若い頃に達観したこと

自動車免許を取り、車を買って、

嬉しくて毎朝毎晩あてもなく走っていた。

 

信号でヨーイドン。

前を走る車に追いつき、追い越しをかけ

闇雲に先頭を目指して走り続けていた。

 

気分よく先頭を走っていると、コンビニや

脇道から車が自分の前に出てくる。

また、先頭に立ちたくて無謀な追い越しをかけ先頭に立つ。

そんな自己満足をしばらく繰り返していたその時、

ある事に気がついた。

「この順番争いは終わらない。そして決して先頭にはなれない。」

 

終わらない「らせん階段」が頭の中にイメージされた。

そこには敵がいて、そいつを倒してどんどん前に進まなければならない。

後からも追われ、倒したと思ったら次が出てくる。終わりは見えない。

進むのを止めるか、自分が倒されるまでどこまでも続くのだ。

 

大袈裟だがそんな事を考えた。

それから私は競う事に全く興味が無くなった。

終わりがないからだ。

 

この「らせん階段」は万物に置換えられる。

自分が一番だと思っても必ず上には上がいる。

ズルして割込んで来る奴もいる。

 

だから評価は気にしなくなった。

やるべき事を自分のその時の全力でやっていればよい。

凡人故に今でもそう思う。

天才は突き抜ければよろし。

 

竹の可能性について

全国的に竹林の管理、運営問題が取り上げられて久しい。
プラスチック製品や輸入品に押されて需要が見込めないので
あっとゆう間に衰退したそうである。
現状はシルバー人材センターやNPO団体が細々と
竹細工等の工芸品や、竹酢液、竹炭などを製作しているようだが
第3者的にみて、あまり工業的、商業的とは思えない。
予算消化の一端に過ぎない気がする。
そもそも竹の有用性があまり証明されていない。
物性も詳細に明かされていない。

竹酢液、竹炭などは農業用土壌改良に有効だそうだが
そもそも農業自体衰退している。
タケノコだってフレッシュな奴は春しか食わん。
建築材にしたって乱暴だが仮に法律が変わって、
「壁材の竹炭練り込みを義務化する」とか
「必ずどこかに竹材を使用すること」とかになっても
コスト面で恐らく輸入品に淘汰されていくであろう。
もうニッチに生き残るしか道はないのかもしれない。

しかし捨てればゴミ、利用すれば資源なのである。
先日某所でフレームに竹の集成材を使用した自転車をみた。
かなりカッコ良かった。
本気で性能比較するべきだ。
そうしないと工芸品で終わってしまう。

・アルミと比べてどうなのだ?
・カーボンと比べてどうなのだ?
・レースに出てみたら?
・一流選手に評価してもらったら?

きちんと性能を評価して、カスタマイズして
強度の上げ方とかを研究して、じゃないと
せっかくのアイデアがもったいない。

自治体に買い取ってもらい
ママチャリ仕様にして観光地のレンタルサイクルにするとかして
使ってもらう方法もある。

酔ってますが何か? 

皆さんこんばんわ

2日目にして早速この体たらくですよ。

まるで緊張感の無いこの感じ。

ダラダラダラダラ続けます。 次!

 

唐突ですが、クラウドソーシングを少し前にはじめました。

まだ全然儲かってないんですけど

「自分が書いた文章がお金になる」ってのが革命でした。

クラウドソーシング「ランサーズ」

人間である以上、言葉は必ず必要です。

言葉はアイデンティティであり、その国が崩壊しない限り存在し続けます。

崩壊しても一番最後まで抵抗し続けるものなんでしょう。

 

 

とうとう初めちゃいました

うわー。

何書こう。

 

皆様はじめまして。

最近何だか考え事が多くて、

「このままではいけない」という危機感が生まれた。

何か新しい事を初めよう。

 

毎日ただ過ごすだけじゃなくて、今日思ったこと

遠い昔の事、今までの生き方とか考え方とか

頭の中を整理する機会を作ろう。

 

自分がこれから何が出来るのか、どんな可能性があるのか、

それを導き出すいいキッカケにこのブログがなってくれればいい。